ポストモダンと散歩中

長くなりがち。

お付き合いの作法雑感・異文化間恋愛編

スウェーデンで勉強中の友人から聞いた話で思うところがあった。

 

彼女の名前を仮にアリーナとしよう。アリーナは20代半ばの美しいルーマニア人の才女である。美しいは私の主観だけれど、美人の産地(変な言い方)として有名なルーマニアの出身なので他の人も賛同するところであると思う。

 

さて、アリーナはスウェーデンで出会いのなさに嘆いている。現在学習中の彼女のスウェーデン語は初級もいいところなのでなかなか現地の人の交流の輪に入りづらいと言う。スウェーデンの人は大抵英語が流暢なので、英語を話す彼女にとって知り合いを作るのは簡単なのではないかと思いきや、いかんせんシャイなスウェーデンの国民性により、初対面のスウェーデン人の心を開くのは簡単ではないらしい。

 

アリーナは決して引っ込み思案な方ではない。黒髪に白い肌の彼女は、金髪碧眼の男性を好み、容姿のことだけで言えばスウェーデンなどは彼女にとってこれ以上ない出会いの場所なのである。一方で、ヨーロッパの中のルーマニアの微妙な立ち位置が、彼女に西欧諸国滞在中、時に偏見や直接的・間接的な差別を体感させてきたため、アリーナは対人関係に敏感なところがある。金髪碧眼を好むのは、濃い毛色を持つ男性が多い東欧への反発なのかもしれない。

 

なかなか出会いのない彼女が何に頼ったかというと、Tinder(ティンダー)というスマートフォンアプリである。Tinderはいわゆる出会い系アプリで、希望する交際相手の年齢や住所から絞り込んだ対象者を、1人ずつ外見の写真と一言の自己紹介のみを見てOKか対象外の二つの容赦ないカテゴリに振り分けていき、同じプロセスをふんだ異性と自分のOKが合致したときのみ相手との会話が許されるという外見至上主義のイデオロギーに支えられたユニークな仕組みを持つ。この身も蓋もないアプリは大ヒットし、世界中の多くの人に使われている。

 

アリーナはこのアプリを使って数人とのデートにこぎつけた。彼女の孤独が癒されるのももうすぐかと見守っていたのだが、今日話したところによると、彼女は他の人と仲良くなるのは諦め、現在は勉強に集中することに決めたらしい。少し前まではTinder依存気味だったが、もう使うのもやめたということだった。

 

そんな彼女から(私にとって)面白い話を聞いた。

「三回デートしただけなのに、break up(別れを切り出すこと)しなくちゃいけなかったの」

どういうこと?と私が聞くと、つまりこういうことなのだと言う。

三回デートしたスウェーデン人の彼がいたが、忙しくなったしあまり興味もなかったので返事をしなかった。しかし、諦めず何度もしつこく誘ってきたから他の人に相談すると、きちんと別れを告げないのはunethical(非倫理的)だと言われたのでいやいや連絡してお断りをいれた。

「三週間くらい会ってなくて、返事をしなかったってことは、私にとっては終わったってことなのに」

彼女は不満げだった。日本で言う、「空気読め」というやつである。しかしその彼にとってはきちんと断られていないのだから終わっていなかったのかもしれない。

 

異文化間のお付き合いは互いの常識が違うので難しいなと思う。私は彼女の話にエドワード・ホールのいうハイコンテクスト文化とローコンテクスト文化の衝突を読み取った。

 

コンテクストとは文脈や背景などのことを指すが、非常に簡単に言うと、ハイコンテクスト文化では、共同体の構成員が社会的文脈を共有しているため「察する」コミュニケーションが通用するが、ローコンテクスト文化は共有される社会的文脈が少ないため明示的なコミュニケーションが一般的となる。当然、どちらが優れているということはないが、ほとんどの人はどちらかのコミュニケーション方法に慣れているため、他方の文脈で苦労する。ちなみに日本は典型的なハイコンテクスト社会とされ、日本人はアメリカや西欧諸国のローコンテクスト文化の中で戸惑うことが多い。

 

アリーナの場合、ルーマニアのハイコンテクスト文化の中でコミュニケーション方法を身につけてきたため、「察する」コミュニケーションは得意だが、相手にもそれを期待したところで文化の衝突が起こった。

ルーマニアでは返事なしってことは脈なしなのに!」曰く、アリーナ。

もちろん、一般化はできない。単に彼が非常にあきらめが悪かっただけかもしれないし、またはとても楽観的でメールが届かなかった可能性を考慮して返事が来るまで送り続けていただけかもしれない。

 

異文化間恋愛は難しい。私たちのコミュニケーションの方法は、私たちが考える以上に文化に影響されているし、出会いから始まって別れるまで、異文化間にはお作法の違いがある。「私は国際恋愛をしているけれども困難を感じたことはない」という人がいたとしたら、私はその人は相手に我慢をさせているか、文化の違いに気付く能力が発達していないのだと思う。国際恋愛に限らずとも、地方の違い、年齢層の違い、社会階層の違いなどをまたいだ恋愛も異文化間恋愛と呼んでよいと思う。そこには文化の違いがあるからである。以前、ゲイの友人と話していたとき、「ヘテロの人(異性愛者の意)ってどうやって知り合うの?」と聞かれて、ゲイにはゲイの出会い文化があるのだという当たり前のことに気付かされたことがある。もっと言えばそのゲイの出会い文化も一様ではないはずで、地域性や層の違いもあるはずなのである。

 

自分にとって当たり前の行動様式が他者にとっても当たり前ではないということを「腑に落ちた」状態で知っている人は少ないし、異文化間の衝突に出会った時双方が満足できる形で解決できる人はもっと少ない。発言小町2chなどで恋愛や結婚生活の相談をする人がよく発するフレーズに、「これ(自分の状況)は普通ですか」とか「普通はどうするものですか」というのがあるけれど、これはすごく意味がないと思う。普通だとして、または普通ではないとして、それがなんなの?二者間の問題はその二者が納得していればよいのであって、「普通」である必要は全くない。むしろ、普通は人の数だけあるのだから、自分の普通と相手の普通をすりあわせていく必要があるのに、他の人の普通を基準としたら話はこじれるばかりだ。

 

いろいろ書きましたが、お付き合いしている人は、いません。