ポストモダンと散歩中

長くなりがち。

『失敗だらけの人生』を乗り越えるために

過去のことを思い出して一人赤面したり悲しくなったりと感情を揺さぶられることがある。他の人はどうなのか分からないが、私はふとした瞬間に愚かだった過去の自分の言動がよみがえってきて叫びたくなることが頻繁にある。過去の「失敗」は大小様々で、未熟な自分が人を傷つけてしまったり誤った選択をしたことから、自分の落ち度ではないのに不条理な状況に陥ってしまったこと、精一杯頑張ったけれどうまくいかなかったことまで、中身も様々だ。

 

ネットで似たような苦悩を目にすると「こんな思いをしているのは私だけじゃない」という安堵を覚えるけれど、それは本質的な自分の過去に対する後悔や羞恥心を解消するものではない。もちろん、頭では分かっている。過去は変えられない。過去にとらわれて現在不必要に苦しむ必要はない。記憶などというものは暴論を言えば認識の仕方の問題なのであって、 失敗だとか黒歴史だと思わなければそれによって苦しめられることはない。

 

過去の失敗の中には避けられなかったものもある。そのときは精一杯対処していても上手くいかなかったのだから、今の自分の能力と知見を持って、ああすれば よかった、こうすればよかったというのは無意味だけれど、過去の自分より成長した今の自分ならば違った対応ができるというのであれば、それは自分が成長した証拠なのだ。ネットでは、現在成功している人が、数十年前にしたことをもとに嘲笑されたり責められていることがよくある。それを見る度、「過去にしたことをもとに他人を叩いている人たちは掘り返されて嫌な過去など一切無いのかしら」と嫌な気持ちになる。

 

不可抗力で起こってしまった辛い過去を自分の人生の「失敗」に数えてしまうと救われない。実際には自分のせいではないけれど簡単に人に言えないようなこと、例えば機能不全家庭で育ったこと、虐待されたこと、性的・身体的・精神的暴力の被害にあったこと、犯罪にまきこまれたことなどは、その後の人生に大きな影響を及ぼすことが多々ある。幸運にもこういったことに巻き込まれずに成長できた人の中には、世の中にはこういうことが起こりうるのだと理解できない人もいる。そんな人に安易に傷つけられてしまった日には、自分の人生の全否定に入ってしまいかねない。

 

他の人の人生が自分の人生と比べて失敗の少ないものに見えると、相対的に「それに比べて私ときたら...」という思考になりやすいのだと思う。でも本当はみんな多かれ少なかれ失敗をしているし言えないこともあるのだ。みんな心の中で葛藤しているし、内省能力の高い人ほど自分を批判的にとらえて苦しむ。自分を省みない人って多少は気楽に生きられるかもしれないけれど、私は過去の自分と向き合える勇気のある人の方が好き。

 

私が「私の人生なんて失敗だらけだった。こんなダメな私に生きてる価値なんかあるの かしら」などと思ってうつうつしだすときは、大抵心身の調子が悪い時だ。調子のいいときは目の前のことに夢中で、過去のことなんて考えもしない。逆に考え れば、「ダメな私」像に説得力を与えるために過去の自分を引っ張り出しているだけなのかもしれない。

 

「失敗だらけの人生」を送ってきてしまったと感じた時、どうしたらいいのだろうか。私は、過去の失敗を清算するより、「失敗だらけの人生を送ってきてしまった」と感じてしまう傷ついた心をケアする方が先決だと思う。もし、あなたのところにあなたの大切な人がやってきて、「私の人生失敗だらけだった。もう生きてる価値なんかないわ」と言い出したら、あなたはその人に共感してあげて、慰めてあげて、その人がいかに「今」素敵であるかを説得するだろう。それを、自分にしてあげたらいいと思う。

 

やってしまったこと、起こってしまったことはもうしかたない。諦めましょう。もし取り返しのつかない失敗をしてしまったときは、責任ある大人として対処しましょう。現在不幸ではなくて不幸だった過去が苦しいのであれば、それは認識の問題です。今幸せなのだからもう過去は関係ない。もし今まさに失敗をして落ち込んでいるのであれば、頑張りましょう。時間が解決してくれます。

 

失敗なんて、誰でもするよ。完璧な人なんていないのだから。