ポストモダンと散歩中

長くなりがち。

いわゆる欠損フェチについて

先日以下の文章を書いてから、ずっと"欠損女子バー"ブッシュドノエルについての様々な意見を追ってきた。

sociologirl.hateblo.jp

 

欠損女子を主体とした話がほとんどだったのだが、ふと、いわゆる「欠損フェチ」という性的嗜好について何も知らないことに気付いた。私は特に特定の身体的な特徴に対して性的興奮を覚えることがないため、これまでフェティッシュについて考える機会があまりなかった。私の知る限りでは私の身の周りに「欠損フェチ」はいない。欠損フェチとはどんなフェティッシュで、欠損のどんなところに興奮するのだろうか。

 

欠損フェチとは

「四肢欠損 フェティッシュ」でググると上位に安定のWikipedia先生が出てくるが、ページのタイトルは「性的倒錯」であり、アポテムノフィリア(四肢欠損性愛)は精神医学的に病理的な精神疾患に含まれている。しかし、以下のことも書いてある。

ただし、性道徳や社会通念は抽象的な概念であることから、その基準や境界線は時代や文化、個人の価値観によって多様な解釈や定義が存在している。また、それらの多様な解釈や定義が偏見や差別の原因となる場合がある。

 過去には同性愛が精神的な異常とされたように、一般的でない性的嗜好が病気であるとされるのは現代の価値観にはそぐわないと、個人的には考える。

 

この、アポテムノフィリア(四肢欠損性愛)であるが、サブカテゴリとしてアクロトモフィリア(身体欠損性愛)というのもある。こちらは、「手や足などの四肢を欠損(破壊)しようとする行為への性的嗜好」だという。四肢欠損性愛、あるいはいわゆる欠損フェチは、必ずしも身体欠損を行おうというのとは同義ではないことに注意が必要だと思う。四肢欠損を持つ人に性的魅力を感じるのと、相手の四肢を損ねたいというのは全く違う話だからである。後者は、相手の身体を傷つける必然性な暴力性を伴う。しかし、極論を言えば、SMの関係のように相互に納得があれば、(つまり四肢欠損愛好者と自分の四肢を失いたい者のニーズが合致すれば)四肢欠損愛好の表現は個人の自由ではないかなとも思う。

 

四肢を失いたい人たち

少し本題から外れる。自分の四肢を失いたい者、と書いたところで、性的嗜好ではないのだが、少し前にナショナルジオグラフィックのTabooというシリーズで見た、身体完全同一性障害(Body Integrity Identity Disorder、またはBIID)のケースを思い出した。

www.youtube.com

Wikipedia先生によると、

身体完全同一性障害(しんたいかんぜんどういつせいしょうがい、Body Integrity Identity Disorder,BIID)とは、自ら自分の身体の一部への強い切断願望や強迫観念を保持し続ける病名のことである。...体の一部を自ら望んで切断したくなる気持ちに襲われるという病気で、切断したい部分は、健康で何の問題もないのに患者は、その部分に違和感を覚える。 症状は、自傷行為がある。患者数は少なく、一般的に知られていない病気である。

このドキュメンタリーの中の男性も、幼少時から自分の右足があることに違和感があり、成人してから自分で切断してしまった。ドキュメンタリーでは、BIIDは性同一性障害と同様に、自分ではどうしようもないアイデンティティの問題なのだと説明されている。しかし、性同一性障害障害と違い、医師が無傷の身体の一部分を切除することに協力することはない。協力すると、罪に問われるからだ。

身体の一部を切除したい人もいれば、四肢欠損で悩む人もおり、はたまた四肢欠損を溜まらなく魅力的だと感じる人もいる。本当に、身体というのは様々に扱われている。

 

四肢欠損者が出てくる作品

四肢欠損で思い出したのだけれど、ニコニコ静画で連載されている、天沢君とカムナちゃんという作品がある。

天沢君とカムナちゃん (IDコミックス REXコミックス)

天沢君とカムナちゃん (IDコミックス REXコミックス)

 

 人造人間であるカムナちゃんには手足がなく、それが作品中の世界では当たり前に受け止められている。カムナちゃんは生活を天沢君に頼っているが、二人の間ではそれが自然なことであり、二人はとても仲がよい。

この漫画の冒頭で、カムナちゃんと天沢君が出会う場面で、カムナちゃんは「私を君の所有物にして欲しい」と頼み、天沢君は「僕も君が欲しいと思ってたんだ」と言う。この二人は、所有者と所有物という関係である。読んだのが結構前なので、再度じっくり読み直してみたい。

「欠損フェチ」の方はこの作品をどう感じるのだろうか、と「欠損フェチ」の存在を意識した今は思う。カムナちゃんに「萌え」るのだろうか。カムナちゃんは一般的な青年向けコミックのヒロインとしても「萌え」対象になると思うが、この場合欠損フェチの対象としてのカムナちゃんと、可愛いヒロインとしてのカムナちゃんでは萌えポイントは異なるのだろうか?これは実際に欠損フェチの人に聞いてみないと分からない。

また、欠損フェチの心理的背景として、相手の自由が奪われており、支配下におけることに性的興奮を感じるという言説を目にした。(カムナちゃんと天沢君の所有者ー所有物の関係からも読み取れる。)これは、理解しやすく安易に飛びつきたくなる理由だが、そんなに簡単なものでも無いような気がする。これも、当事者の説明を聞いてみたいところである。

 

(広義の)フェティッシュと個人

誤解を招くと良くないので言っておくが、私は四肢欠損を持っている全ての人のパートナーが欠損フェチだと言っているわけでも、その傾向があると言っているわけでも決してない。(中にはいるかもしれないが、私は全く知らないので、もし詳しい人がいたら教えていただきたい。)あたりまえのことだが、四肢欠損を持っている人も、四肢欠損者である前に個々の人間であり、個性があり、他者との交わりの仲でパートナーを見つける。

 

個人より先にフェティッシュありきの恋愛は賛否両論あると思う。理想主義的すぎるかもしれないが、私は個人的にはいやだ。現在ヨーロッパにいるが、アジア人フェチの男性のアプローチには非常に嫌悪感があるし、昔から胸が大きかった私は巨乳フェチの男性はなんとなく避けてきた。私はアジア人女性というアイデンティティだけでできているわけではなく、私の体は胸の付属品ではない。一方、好かれる特徴を強みに寄ってくる男性とつきあい、良好な関係を築いている人も何人も知っている。付き合ってから自分のことを知ってもらえばいいという考え方だ。現実的にはこちらのほうがうまくいくのかもしれない。まあ、結局は口説き方である。「私はアジア人女性が大好きなんです」「おっぱいが大きい子とつきあいたい」と口説かれるより、「あなたの黒髪と肌のきめをとても美しく感じます」「(おっぱいのほうはどう言ってもセクハラなので口説き方が思いつかなかった)」のほうが、自分を見てもらえていると感じやすい。しかし、この口説き方に口説く側の知性が現れるのだ。

 

まとめ

欠損フェチで検索を続けていると、意外とメジャーな性的嗜好だと分かった。欠損フェチは、男性にも女性にも他のジェンダー にもいることが分かった。でも、フェチの人が欠損のどのようなところを魅力的と感じるのか、はたしてその「萌えポイント」は欠損フェチの間で同一なのか (直感としては異なる気がする)、当事者は自分のフェティッシュをどのように捉えていて、どのように表現しているのかなど、分からないことばかり出てきた。欠損フェチを持っている人がいたら、ぜひお話を聞かせて欲しい、または何かの媒体で語って欲しいと思う。

他者の安全と権利を侵害しない限り、性愛の形と表現は自由だと思う。

また長くなってしまった。

 

 

 

本当に正しいフェティシズム ~性的嗜好大事典~ (SANWA MOOK)

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性的倒錯―恋愛の精神病理学

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性倒錯─様々な性のかたち (文庫クセジュ)

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