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ポストモダンと散歩中

長くなりがち。

大人になってからの友達作りはなぜ難しいのか

最近、大人になってからの友達作りはなぜ難しいのかを考える機会があった。

正確に言うと、本当に大人になってからの友達作りは難しいのかということを考えていたのだけれど、結論として大人になってからの友達作りは難しいと思ったのでその理由を考えていたのだった。

 

 

大学院関係のイベントに参加した際、同じプログラムの一期下の女性と話をしていて、夕食に誘われた。私は以前他のイベントで彼女と会っていて、顔見知りだったし、明るい人だなあと思っていた。彼女は人間関係で辛い思いをしているようだった。誰かと仲が悪いとか意地悪をされるとかそういったことではなく、近しい関係の人が周囲にいないのが悩みのようだった。彼女はしきりに全然友達がいないから寂しいと言っていた。

彼女は中国人の女性で30歳。今学期私の大学に移動してきた。私のプログラムでは学生はほとんど同じ授業を履修するので、話す人がいないというわけではなさそうだった。「ずっと同じ授業をとっているのに授業外でも一緒に時間を過ごすなんて息が詰まる」と言っていて、私もそれは理解できた。私はたまたまこの街に友人がいたり、同じプログラムの中に仲がいい学生がいたので寂しさは感じなかったのだけれど、彼女は知らない街で大学の外で友達をつくるのも難しく、とても寂しいのだそうだった。

食事に行こうと言われて、断る理由もないし、気が合うかもしれないので一緒に中華料理のレストランに行った。そこで彼女の悩みを延々と聞くことになったのだった。基本的にずっと私は彼女の聞き役に徹していた。彼女の英語はある程度流暢ではあるけれどアクセントが強かったり意思伝達が思うようにいかない部分があったりして、長時間彼女と複雑な会話をするのはストレスになった。正直楽しめていなかったしさっさと帰りたかった。

全然友達ができないという彼女に、大人になってからの友達作りは子供の時のようにはいかないんじゃないの、と言うと、彼女は意表を突かれたようだった。そんなこと考えたことなかった、なぜ?と聞かれたので、私もなぜだろう、と考えた。大人になってからの友達作りは難しいというのはよく見聞きするし自分も共感する言説だったのでそれを疑ったことがなかった。30歳の彼女が子供の時から今まで友人作りに困ったことがなかった(けれど今は困っている)のはなぜだろう。

この時彼女に言ったのは、大人になると他者に対しての好き嫌いがはっきりするからではないかということだった。また、他者に対しての期待の質が変化するからではないかとも言った。自分の子供の頃の友達関係を考えてみると、一緒に遊ぶことだけが目的で、あまり多くを友達に求めていなかった。多少意地悪な子も気が合わない子も遊ぶだけならあまり支障はなかった。

一方で、大人になってからは相手に要求することが増えたように思う。この人は誠実か、興味深いか、考え方が似ているか、私を尊重してくれるか、自己中心的ではないか、傲慢ではないか、浅ましくないか、嫉妬心が強くないか、オープンな態度を持っているか。自分が友人に求めるものが明らかになり、また世界が広がって友人を選ぶ余地が増える。自分が選ぶということは相手も自分を選んでいるということなので、特に親しい友達を見つけるのは恋人を見つけるのと同じくらい難しいかもしれない。

 

あれから数日経って、ふと「距離感」も大人になってからの友人作りの障壁ではないかなと思った。あまりよく知らない私を食事に誘い、自分の内面的な話を打ち明けるというのは彼女の他者との距離感が近いということである。他の中国人の友人たちから中国では文化的に友達付き合いがとても近しいと聞いたことがある。この距離感が西ヨーロッパでも受け入れられることを期待していたらすぐに「友人」ができなくて戸惑うだろう。

この「友人」として期待された距離感が、私には少し近すぎた。この人、ぐいぐい来るなと感じて防御体制に入ってしまい、彼女が個人的な悩みを打ち明けてくるのに困惑し、彼女の話から考え方の違いが浮き彫りになるにつれて、私はこの人の期待には答えられそうもないとうっすらわかってしまうのだった。

 

大人になってからの友達作りが難しいのは、端的に言うと私が選り好みしているからだ。しかし、自分が一緒にいて快い人を求めるのは悪いことではない。神経質な割に鈍感な私は長らく友情を勘違いしていた。相手がいろいろ打ち明けてくれたり話を聞かせてくれるのが嬉しくて、話を聞くのが辛くても聞き役に徹し、相手を慰め褒めて気分が良くなるよう頑張っていた。相手が快くても自分が快くない関係は私の求める友達関係ではないなと気づいてから、友人は選ばなければならないと考えるようになった。また、相手に嫉妬してしまうような関係も良くない。相手に一切非がなくても一緒にいて不快な思いをするなら、少なくとも一時的に距離を置いた方がいいと思う。

もちろん、友人以外は自分の生活から排除するとかそういう極端な話ではない。一般的な意味で周囲の人に愛想よくするのは大事だ。相手を不快にさせない表面的な親しさを見せるのはコミュニケーションスキルの一つである。でも、パーティで会った時楽しく話すからといって、その人は友達ではないし、その人と相性が合わないかもと感じたからといって騒ぎ立てる必要はない。ただスマートに距離をおけばいいのだ。

 

会って話してモヤモヤっとする人といない人がいる。他の人はどうか知らないが、私は『モヤモヤ』せず素直な自分で接することができる人がとても少ない。少々モヤモヤする言動があってもどうせそれはお互い様だし、その人を好きな気持ちがモヤモヤを上回ったら積極的につきあう。

 

モ ヤモヤというのは言語化できない違和感を表現出来る便利な言葉だ。一方でこの語はその実具体的な情報を一切含んでいないので、そういう意味では役立たず だ。しかし、相手との相性をはかる時、モヤモヤは意外と役にたつ。モヤモヤは不快な感情だ。相手との交流で、表面上問題が無いように感じてもモヤモヤする 時は、感覚が「この人には気をつけろ」と教えてくれているのだと思う。

 

こういった言語化しにくい気持ちを頑張って言語化することがきちんと自分の気持ちに向き合うということではないだろうか。